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看護職の子育て今むかし:連盟ふくい座談会:福井県看護連盟


連盟ふくい座談会:看護職の子育て今むかし福井県看護連盟座談会 看護師の子育て今むかし


幼い子どもたちに我慢させたり、寂しい思いをさせたり。親として反省したことも。

海道
1日24時間を2交代3交代で勤務する病棟の看護師は、1か月毎に組まれるこの勤務予定表に従って勤務することになる。
パソコンが無かった時代、この勤務予定表を組むことは大変な労力が要求される作業のひとつであり、一人一人の勤務希望全てではなく、ある程度反映させることでさえ重労働だった。
看護界において勤務予定表は今も昔も常にベストセラーである。

私の子育て期はたぶん、ちょうどいろいろな制度ができて託児施設も充分にできたっていう狭間の時期だったと思います。

上の子たちの時には勤務希望なんて一つも聞いてもらえなくて、一方的に決まったところで、他の人たちと話し合って代わってもらいなさいっていう時代だったので、なかなか自分から休ませてくださいって言えなかったんですよね。

先ほどベビーシッターさんの話がありましたけど、ほんとに私も困ったので、そういう仲間を友達同士で作って、自分がちょっと大変な時はその人の家へ子どもを連れて行ったり、私が家にいる時は、逆にその人の子どもの面倒を一緒に見たり。そういう、今で言うママ友を作って頼み合いっこをしましたね。
夜勤の時も、主人が無理な時は、その子のお家へ連れて行って一晩一緒にいてもらいましたもの。

司会

私の同級生もそうでしたね。同じ卒業生なんか特にそうです。近くにいる人に預けて夜勤に出るんですよ。

海道

子どもたちが小学校に上がった時には、2人に鍵を持たせていましたが、子どもたちが病気をすると、もう仕方がない。お昼ご飯と薬と体温計を枕元に置いて、自分は仕事に出て、お昼休みに電話をかけて「薬飲んだ?」「お熱計ってみなさい。何度なの?」と言いながら仕事をしていたんですね。

今考えるととても怖い事ですよね。ほんとに休めなかったし、何かどこかで「こんな事で休んじゃいけない」みたいな思いもあったりして。

子どもたちが中学校ぐらいになった時に散々恨み事を言われましたからね。「お母さんは私たちより患者さんが大事だった」とか。ほんとに子ども達には負担をかけたなと思いますね。
うちは姑さんがいなくて、子ども2人だけでしたから、「寂しかった。辛かった」と散々言われました。

澤崎

私のところは主人のお母さんが夜勤の時に見てくれましたが、上が女の子で、やはり「夜勤の時はお母さんがいなくて寂しかった」と今になって言うんですよね。
あの頃言ってくれればよかったのにと思いますが、おばあちゃんと一緒にいたけれど、やっぱり寂しかったんだと分かりました。

大崎

小学校の父兄会には「お母さん必ず来てね」と言われまして行ったんですが、教室に誰もいなくてどうしたんだろうって。場所が分からなくて…。
中学校の父兄会もたまには行かなくてはと思って行ったら、「何組だったけ?」って。ひどい親だなと、ちょっと反省しました…。

司会

私も子どもに言われているんですが、仕事でどうしても行けない時は夫が行ったんです。
でも、小さい時は嫌みたいですね。「お父さんじゃ嫌だった」って今でも言います。「みんなお母さんが来るのに、何故うちだけお父さんかなって思ったよ」なんて言う時があります。

海道

本当に大変な時は、子どもはお母さんの顔を見ているから、「寂しい」とか「お母さん家にいてよ」とか言わないんですよね。
ちょっと大きくなって、親と対等に話せるようになってから、「あの時はこうだった」って言いますでしょう。小学校の低学年ぐらいの何でも言いたい時に、お母さんに言っちゃいけないとか、お仕事なんだから我慢しなくてはと、子どもなりに我慢をしたんだと思うんですよね。

後から“そうだったんだな”と思ったり“あの時言えなかったんだ”と思った時、親としてちょっと責任を感じましたよね。がむしゃらに仕事をしていくのがいいと思っていましたが、「1日ぐらい休んでやればよかったのに」と思いますね。

澤崎

職場で、息子さんがまだ若くて結婚されていない50代半ばの方に「息子さんが結婚されて子どもさんができたら、面倒を見られるんですか?」と聞きましたら、「困ったら見るけど、責任を押しつけられたらいやだ」と言っていました。

最近そんな方が多いのですが、皆さんどうでしょうか?

司会
昭和46年に産後休暇6週間から8週間に延長された。
産後、母乳を与える時期に勤務に出るということで、胸にタオルを当てて白衣に母乳が染み出るのを防いでいたりもしたが、ふと子供のことを思うと母乳がほとばしり出たりするのは切ないものだった。
また1974年育児休業法の成立は、産後休暇に続いて休暇を取れることで、女性が働きやすくなった。

私自身は、孫が手を離れてしまいましたが、娘が里帰り出産でしたのでその時は見ていました。
もう可愛くて、可愛くてしょうがなかったです。仕事を休みたくなるほど。なんで私たちが育児休暇を取れないのだろう、と思うくらいに可愛かったです。私たち、育児休暇を取ってないんですもの。

私たちの時の産後休暇は最初6週間で、それから8週間に変わったんですよ。その過渡期だったんです。
6週間と言えばまだ母乳が出ますし、同僚なんか「母乳を止めてきました」と言ってました。母乳の出ない人は楽でしたね。母乳の出る人は冷やしてこなければいけないし、気の毒でした。皆タオルを胸に当てて対処して仕事をしていました。

大崎

私の先輩にも、仕事の休憩時間に休憩も取れなくて困っていましたね。
「どうぞ、休憩してください」とはいくらでも言えるんですが、回復室勤務の時はそう簡単に場を離れられないし、急性期の時は頼めないし、苦労していたみたいです。

岸本

私は子育ての真っただ中にいるので、なかなか先が見えないんですが、先輩方の話を聞くと今をもっと楽しまなくちゃと思ったりします。

司会

ほんとにそう思います。いつかは離れて行きますし。紐つけて置いときたいくらいです。
母親の思いってだんだん伝わらなくなっていくんですかねぇ。